平成10年8月2日、午前11時。まだ私が布団と暖房のきいた暖かなまどろみの中にいたとき、携帯電話の不愉快な囁きが耳元で響きました。
「やかましい・・・」
しばらくはほっておいたのですが、あまりにも囁きがしつこいので出てみると、「MAやるばい、はようきんしゃい」というのです。
「・・・・・ほえ?」
音声チーフの北島正司からでした。たしかに今日からMAですが、音楽レコーディングに行っている北島と“野猿”井上そして大野まゆみ達の作業が朝までかかったので、早くて午後、遅くて夕方から開始と聞いていました。
「あれ~今日は午後か夕方からやないとね」と返すと、
「東京から眠らんで帰ってきたとよ、今からやるばい」
と下手くそな博多弁で返されたので、急いで局に向かいました。
局に行ってMA(ダビング)ルームを覗くと、北島と“野猿”井上そして大野まゆみが案の定眼を真っ赤にして待っていました。もちろん、もう一人のディレクター近藤大の姿もありました。私は出来上がったばかりの音楽の入ったDATを受け取り、早々に音楽を聴くことにしました。
出来上がりの音楽を聴きながら、
「いいね~」
「この曲どこに使う?」
上機嫌な“野猿”井上と話してるところに“ちばっち”こと音声の千葉CEがやって来ました。音声チーフの北島のアシストと機材のオペレーションのためにやってきたのです。
「あれ~もう始まってるの?初日からはりきってるね~。まいったな~」
と、いつもの“おとぼけラテン系”です。これでディレクターの“野猿”井上と近藤、音声の北島,千葉CE、音響効果の細見がダビングルームに勢揃いしました。このメンバーでこれから10日間の地獄の作業が始まります。
私達に与えられた延べ240時間の中で、セリフ補正及び整音、効果音及び生音、音楽付け位置そしてミックスダウン作業のすべてを終了させなければなりません。 皆さんの中には、かなり余裕があるじゃないかと思われる方もいるでしょうが、ハリウッドのように多くの人たちがチームを構成して作業を進めるわけではありませんから、実際はかなり厳しいスケジュールでした。
まず、今回行ったMAルームのシステムを紹介しましょう。ミックス卓は【ams LOGIC1】,セリフの整音と音楽トラック用に【fairlight mfx mini】,効果音や整音や音楽再生及び収録用に【DENON 6mm×3】,【AKAI DD-1000】,効果用サブミックス卓に【YAMAHA PM4000】といったシステムでした。
さぁ、メンバーとシステムが揃ったところで、いよいよMA開始です。まずは、セリフの整音から行いました。セリフの整音とは、VTRに入っているセリフを整えていく作業で、セリフを聞き取りやすくしたり、別のテイクのセリフと差し替えたり、エフェクターを通して臨場感を加えたりして行きます。そのためセリフ以外のベースノイズ等の不要な音を全てカットします。そして、新たに背景の音を足していきます。この作業を3日かけて作品の音の土台を創っていきました。
8月5日。MA,4日目になりました。ようやくセリフの整音が終わり、効果音と音楽を付けていく作業に入りました。いよいよ仕込んだ効果音を映像と合わせます。【プロジェクターのモーター音】【パソコンのキーボード】【モノレールの通過音】【新庄礼子の足音】【イス】【携帯電話】そして【工場地帯の音】と仕込んだ音がDD-1000から次々と再生されていきます。
はっきり言って感動しました。自分はサブミックス卓でバランスをとるだけでよいのです。また、街や会議室のベースノイズといった長尺のものを6mmから出し、映像に奥行きをつけ、ライブで【本を開く,めくる】【線路を歩く】といった生音を映像に合わせてつけて臨場感を増しました。そして音楽を付け、作品のサウンドトラックを完成させていきます。
いつもこの効果音や生音を映像につけて思うことは、効果音や生音には、サウンドトラック全体を引き締める表現力と、リアリティー、臨場感を高める役割があるということです。効果音や生音を細かく付けている作品とそうでない作品とでは、サウンドトラック全体の完成度が全く違ってしまいます。
てな作業を繰り返し8月9日、ようやく全ての音が入りサウンドトラックが一応完成しました。次はいよいよミックスダウンですが、その前にプロデューサーの試写というか視聴があります。これをクリアしないとミックスダウンには進めません。そこで、この日の夕方、プロデューサーに見てもらうことにしました。
19時30分。出張先から戻ったプロデューサーがMAルームにやってきました。そして、弊社社長もやってきました。プロデューサーは「やぁ!皆さん御苦労さん。細見ちゃん調子どう?」と上機嫌でした。しかし社長は、私の緊張をレッドゾーンへ誘う不適な笑みで「お手並み拝見といこうか」と言ってきたのです。
「これはスムーズにミックスダウンにいけるかな?いけるといいな。・・いけないな・・・。」
と思わざるをえませんでした。
それから、なが~い75分の試写が終わり、プロデューサーと社長から意見を聞きました。
予感的中!!
プロデューサーからは、
「後半をもっとハートアンドワームにして、最後ドカン!」
と言う要求が来ました。そして、社長からは、
「ほそみ~甘いな。もっとよくなる。手直ししろ。」
と来たのでした。様々な意見が飛び交い、修正の方向性が見えてきてその日は解散になりました。(この件で詳しい事情が知りたい方は、「知られざる音響効果の世界」の第5章を読んでください。)
次の日、修正を行いました。工場地帯のSEをもっと厚くしたり、音楽が主人公の礼子や清張のどういった心情についてきているのかをもう一度検討しながら修正作業を続けました。
ミックスダウンの予定だった8月9日を3日もオーバーした8月11日、修正がようやく終わり、もう一度プロデューサーに見てもらいました。今度は、「きたね~。感動したよ。」という感想が来ました。
やっとのことで何とか8月11日の午後9時よりミックスダウンに進むことが出来ました。当初の予定のトラック数を大幅に越えてしまい、スタジオにある機材をフル稼働してのミックダウンとなりました。結果的にミックス卓の【ams LOGIC1】で16トラック、【fairlight mfx mini】で音楽用に4トラック、加工セリフとモノローグセリフ用に4トラック、追加効果音用に【AKAI DD-1000】4トラック、全て合わせると28トラックという内容になりました。通しのテストを繰り返し、結局、夜11時頃からやっと目的のファイナルミックスダウンに入ることができました。
ミックスの方法は、私と音声の北島の2人でミックスするスタイルを選びました。セリフとベース音を北島、音楽と効果音を私が担当し、ミックス卓の【ams LOGIC1】に二人横並びで行いました。この方が二人のモニター環境が同じで、互いのバランスを意識しながら行えるからです。また、ON-AIR時のバランスを意識するためにもモニタースピーカーを小型のものにし、わざと音量をやや低めにして行いました。
平成10年8月12日、午前1時30分。苦難の末ミックスダウンが終わりました。本当に今回の作品は、注目者が多かったためか色々な意見が飛び交い難産でした。しかし、この作品に携わったスタッフの努力が実を結び完成となったわけです。私に劇をとばし支えてくれたスタッフの方々に改めて感謝の言葉をいいます。
「本当にありがとうございました。本当にお疲れさまでした。また、一緒に苦しみましょう」
平成10年8月15日、午後9時30分。この『点と線を追え!』は、無事放送されました。
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