台詞編集
台詞を収録しおえたディレクター田中は、その編集作業に入った。

台詞は台本の進行通りに収録されているわけではない。出演者の出番の分量にあわせて録る場合が多い。台詞が一言しかないのに一日中待たせるというのは明らかに効率が悪い。かといって、シーンをあまりにも切り刻みすぎると芝居のテンションが変わってしまう。編集した後で聴いてみて、「あれ、いきなり芝居が変わっちゃってるよ!」なんてこともよくある話だ。

編集作業が必要になる理由はいくつか考えられる。

台本上のあるシーンで、OKが出るまでに5テイクかかったとしよう。後の必要ない4テイク分を編集でカットしなければならない。これくらいは皆さんもお解りになると思う。では、実際によくあるパターンを示してみましょう。 

5テイク収録した中でも4テイク目の芝居が最も勢いがありました。しかし、主役の演技が前半流れてしまっています。この部分は5テイク目の前半と差し替えます。その差し替えた台詞の中で何処かしらに台本のペーパーノイズがあります。これはまずいのでカットしましょう。シーンのラストになにがしかの決め台詞がありました。これは2テイク目が一番良かったので、これと差し替えます。残りのテイクは途中でNGになったモノなのでカットします。

通常の台詞編集は大体こんな感じです。本当は出来るだけ編集せずに芝居のテンションを持続させた方が良いのでしょうが、あまり何度もリテイクを繰り返しすぎると役者さん自体のテンションが下がってきます。シーンのテンションを壊すことなく聴かせる編集が良い編集と言えるのでしょう。

台詞の編集はSONYのDATSTATIONで行った。昔は(と言ってもここ5,6年の話だが)6mmテープを、磁気をとおさない【業務用編集ハサミ】で切り刻んでいた。完全な手作業だから、一度、編集を失敗するとやり直しが殆どきかない。テープ自体は本番用と予備をとってあるからいいものの、要領を得ないと何時間かかるか分かったモノではなかった。そこで最近はDATSTATIONかハードディスクでの編集に完全に切り替わってきた。

我々、効果部はラジオ用のスタジオで音の準備を始めました。 チーフは当然、わたしですが、助手に女性効果マンの大野まゆみが付いてくれる。その他にも、仕事の合間を縫って若手の効果マンが勉強しに来るので、色々試させてあげなければならない。

演出ノート:

闘病生活のなかで、金子さんは、痛みと死ぬかもしれないという恐怖と闘いながら、同時に自分のなかの運命と罪の意識とも闘っている。しかし、始めのうちは、その両方から逃げている。彼は運命を呪い、悪夢にも耳を塞ごうとしている。

ここで少し最近の現場の現状について触れておきたいと思う。年々、ラジオドラマが衰退していくことは悲しいことだが、それが効果マンの育成にも大きな影響をもたらしているのは否めない。テレビドラマにはテレビドラマなりの良さがある。しかし、いかんせん地方ではその数が少なすぎる。その上、音だけで表現しなければならないラジオドラマに比べて、映像がある分、音も映像に寄りかかるウエイトが強くなる。手間暇の部分だけを言えば、映像がある方がはるかに面倒である(笑)。いずれにせよ、『効果マンの資質』にもよると言ってしまえばそれまでの話なのだが、それはどの世界においても言える普遍である・・。とにかく、音だけで世界を創り上げるという経験を踏まえることで、イマジネーションの幅を膨らますことが出来るのである。

そういった意味も含めて、今回は最初からオーソドックスに作ろうという狙いが私の中にはあった。オーソドックスとはラジオドラマ全盛時にみられた、音の情報だけで聴き手の想像をかきたてる作り方である。

映像世代の我々にとって、音だけでイメージの世界を構築していくことは容易なことではないのだ。どうしても映像的にイメージしてしまうのである。もうかれこれ10年以上をこの世界で過ごしてきているが、やはり自分は映像世代の人間だとつくづく感じる。それはそれで大いに結構だと、自分では思っているが、昔ながらのオーディオドラマを作ってみたいという欲求も、日増しに膨らんで来ているのも事実なのだ。

ディレクター田中もまた、映像世代の申し子である。今回のドラマを“地獄の黙示録”のイメージだとか何とか言っている。しかし、今回は以前から挑んでみたかった、オーソドックスな路線で行こうというコンセンサスを話し合いの中で得ることが出来た。