台詞収録 2
何度かスタジオブースの中でリハーサルをする。その間に音声の鈴木ちゃんはマイクアレンジや音量調整などをバタバタとやっている。そんなとき、音響効果は一体何をやっているのだろうという疑問が浮かぶと思う。

いやあ、実にいいところに気がつきましたね!

「イメージしているのです(Mr.マリック風に呼んで下さい)」

実際は、本読みの時のラップと収録時のラップを記録したり(本来、ADがやることだけど人がいないんで・・)、収録テープを回したり、定位の確認をしたり、芝居をチェックしたり・・何でもやってますね。

演出ノート:

被爆直後の証言によれば、皆、何が起こったのか分からなかったと語る。茫然自失。後に振り返って、よくもまあ生き残ったものだと皆が語る。地獄の中で「もう無我夢中だった。痛い、苦しいというより先にここから逃げたい」という思いで広島から脱出している。金子さんの場合、一歩でも山口に、家族に近いところで死にたいという思いが強かった。

収録が始まって、原爆が投下されるシーンまではほぼスムーズに事が運んだのだが、ディレクター田中正は前日の事がやはり気がかりであった。

「やはり、綿を詰めた方でやりましょう。」

意外に頑固な男である。試してみると想像以上に変な声になってしまう。綿では駄目なのか・・、あきらめかけて周りに目をやるとティッシュが無造作に置いてある。

「この、ティッシュを詰めたらどうですかね?」 

熊本八代訛の声が半ばやけ気味に響いた。

「いいよ、やってみよう」

役者魂に熱い原田さんはディレクターの無理難題にビクともしないようだ。色々試してみる。

綿の時に比べて何となくいい感じだ。しかしティッシュの量が問題だ。口にあまり詰め込みすぎると爆笑オンパレード状態と化してしまうし、多少湿らせないと紙のごわごわした質感がモロにマイクを通して聞こえてしまう。微妙なさじ加減で何度かリハーサルを繰り返して本番にのぞんだ。

地元組の二橋さんも熱演だ。原田さんと二人で演じる異様な世界は副調整室にいる我々さえも昭和20年の広島へと誘われる。

 
演出ノート:

山口への思い、家族への思い、それと同時に金子さんの中には暗く重たいものが蓄積されていく。それは、運命への呪いと罪の意識である。

金子さんの証言によく出てくるのは、「自分の運命を呪った」「自分がもっとちゃんとした人間だったら」というフレーズである。彼は当時、自分がもっとちゃんとした人間だったら、こんな目に遭わなかったのにと思っている。彼は、神官になるつもりで國學院中学に行くが、なぜか学業を捨てお菓子屋の修行をしている。そして、徳山に店を出すがつぶれ、高水で再起を期す。しかし、それも戦時下で材料が手に入らず、保険外交員として生計を立てようとする。その結果、被爆した。金子さんは、こんな風に原爆と自分を結びつけている。おそらく生き地獄を逃げながら、彼は自分の悲運を痛切に感じていた。

もう一つ重要なことは、負い目=罪の意識である。驚いたことに原爆から生き残った人々に共通するのが、自分が逃げる途中で置き去りにしてきた無数の人々への負い目である。そんな余裕はないだろうと私たちは考えるが、生き残った人々は皆、この<負い目>を抱えながら生きているというのである。この罪の意識が後に、金子さんの悪夢として苦しめることになる。それは、セミの声であったり、ヒトの声であったり、爆撃機の音であったりする。

脇を固める役者陣も侮れない。

主役の妻を演じる渡裕子さん、その娘を木藤千絵さん、汽車の男二人を原庄治さんと佐藤順一さん、駅員を坪内俊蔵さん、老女を北川湛子さん、医者の田中富士夫さんと九州を代表する役者陣である。